恋愛は当人同士にしかわからない熱量があって、熱量がまわりに伝わると交際に対して反対するというよりも心配が勝ってくるような気がする。
例えば、まわりから「女の方の猛アタックだった」とか「女に騙されたんだ」みたいなよくわからない誹謗中傷を受けた時、彼女はその後の人生をどう生きていくだろうか。また、事実、男性からの猛アタックだったとしたら、虚構の中このカップルはどう生きていくだろうか。
芍薬先生とJERUSALEMはJERUSALEMの特性上、芍薬先生が悪く言われることが多い。私たちの婦人会所属の女性たちも同じ道を辿ってきたから「頑張れ!」と応援したくなる。
私たちのことを重ねながら芍薬先生とJERUSALEMの恋愛を身内目線で語っていく。
芍薬先生はとにかく表に出たがらない。モデルだとか女優だとかタレントだとかになったらどうかとこの3月まで私たちもいろいろ作戦を考えていた。MT SECONDの中には先生をモデルか女優かタレントにするために意地の悪いことをした人間もいる。それくらい、先生が世の中に出たら丸く収まることがMT SECONDでは多発していた。
多かれ少なかれ先生はその思いに気づいていたと思う。「誰かのためにしか生きられない」を公言する先生らしからぬ行動だった(笑)
私たち婦人会は有名人になることをひとつ防衛策だと考えている。著名人や有名人になれば、有名税としてプライベートを切り売りするに見せかけて、プライベートを守れることを知っている。
リスキーなものを取り除く術は私たちの若い頃の失敗からノウハウがある。もっと言えば私たち婦人会が目を光らせていれば守れる自負もあった。
有名人や著名人と格付けしてくれるのは世間様で、世間様に名前と顔が知られることで話として成立する事柄も多い。単純に「一般人」という言い方では話が収まらないことが今の世の中大変多いのだ。
婦人会の面々が若い頃はインターネットも未発達だったが、それでも幾度も虚構という狙撃を受けてきた。私などは結婚に際してだけでなく、子供が生まれてからも、子供が成人してからも、実際は今もなお虚構という狙撃を受けている。狙撃手がどこに潜んでいるかわからない世の中をすでに40年以上生きてきた。ごく平凡な言葉さえ言葉尻を取られて死体撃ちにあってしまう。
メンタルはすでにゾンビに硬化させたような気がする。
今、芍薬先生とJERUSALEMの恋愛は一年前と比べて驚くほど「まとも」になった。互いの仕事や互いの知名度の差を埋めてきたのは彼らがぶつかりながらも、互いに傷つけ合いながらも、結局は諦めきれない不可思議なご縁によって強く戦わざるを得なかったからだと思う。
私たちの若い頃もそうだった。特に恋愛においては慎重でありながらも大胆に行動しないと互いの愛を守れなかったのである。私がどう言われてきたかはかなり思うところが個人的にあるものの、言われた内容が虚構を極め悪質であればあるほどに夫と子供たちの絆は深くなった気がする。
ミレニアムだ、いよいよ21世紀だと浮かれていた当時を思い出す。芍薬先生やJERUSALEMはまだ中学生だった。今の私の子どもたちよりも幼いあの頃に、彼らがこんなにも世の中を席巻するとは想像もしなかったかもしれない。
「椿ちゃんはどんな中学生だったの?」
末娘の誕生日パーティーの際に何気なく娘が聞いた。
「陰キャだったよ。一軍ギャルにおびえるあまり、ルーズソックスも履けないような」
信じられない!と派手に驚いたのは私の夫や、夫の後輩たちだった。男性陣はどこかまだ男の子だと感じていると、隣で長女が「陰キャだっていいじゃない」と聞こえないくらい小さな声で呟いたのが面白かった。
人は見た目が100パーセント、自分達だって見た目と印象でどれだけ苦労してきたかと少し冷ややかな視線を送っていると、JERUSALEMの献灯くんが一枚の写真を見せてくれた。
椿ちゃんがまだ太っていた頃の写真だった。ニヤリとしながら私にだけ見せてくれた。
何を意味しているのかと少し不愉快になったが、そのあとにこう言ったから腑に落ちた。
「椿は俺に出会って綺麗になろうって一念発起したんだよ」
JERUSALEMの中で一番古い椿ちゃんを知っているのは献灯くんだ。
本当に恋をしたり、本当に守りたい人ができたりすると、世間様が授けてくれる印象や見た目の虚構、それに便乗した陰湿な商売のネタさえも、逆手にとって楽しむようになる。苦難は忍耐をもって練達され、そこに希望を見出していく。
私と夫と子供たちと、そして婦人会とMT SECONDの賛同者みんなが苦労の中、編み出し勝ち得た生きる術であった。
誰のためなら死ねるか?誰のためなら強くなれるか?
MT SECONDの究極の恋愛信条である。
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