※意訳
俺たちは日本人じゃない。外国人だから深く語ることはできないけれど、、、
こんな前置きが必要なのが今の世の中なんだよなあと少し寂しくなる。
たとえ友達でも、国籍が違うと相手の国のことを公に鋭く言うことができない。
国際問題って言葉が国同士の争いの時に使われることもまた寂しい。
俺たちはクリエイター?アーティスト?まあなんでもいいや。
俺たちはアメリカ人?フランス人?まあなんでもいいや。
俺たちは仏教徒?クリスチャン?どうでもいいじゃん、そんなこと。
俺たちは恋人?友達?家族?そこは、はっきりさせようぜ。
ビジネス上の付き合いと家族は違う。友達と恋人にも大きな差があるし、つまるところ差別意識の原理は自分にとって相手は味方なのか?それとも敵なのか?ってことだと思ってる。
クリエイターでも官僚でも政治家でもなんでもいいじゃん。アメリカ人だろうとフランス人だろうと国籍なんか書類ひとつでどうにでもなるだろう?改宗すればジハードに参加することだってできるし、改宗すれば豚肉だって食べられる。でも、友達とか恋人とか家族は言葉が変わったら自分とは関わらなくなっちゃうんだよ。
言葉上で最も恐れるべきことをもう一度世界中で考えて欲しいと思っている。
アメリカ人だからって家族じゃないとは言えない。
クリエイターだからって友達じゃないとは言えない。
クリスチャンだからって恋人じゃないとは言えない。
でも、恋人じゃないって言われたら俺は恋人じゃなくなっちゃうんだ。
言葉によって世界は分断されている。言葉によって国境線が引かれ、言葉によって争いが繰り返され、言葉によって人々は戦争に駆り立てられている。
平和の剣として言葉を使うべきだと思わないか?なあ、兄弟たち。
英語と日本語の表現の違いを笑っている井の中の蛙の噂はJERUSALEMからよく聞いているよ。だからあえて、この言葉を使うよ、
なあ、兄弟、俺たちはいつから言葉の使い方を間違えてきてしまったと思う?
笑っている暇はない。モグラ叩きは面白かったか?
モグラは叩かれたから、地中を移動して、海の向こう側の俺たちに助けを求めたんだ。
地の下にいる竜こそ土竜、空ばかり眺めているから足元をすくわれたんだ。
俺たちは俺たちのやり方で家族と恋人と友人を救うつもりだ。国境をなくすためにね。
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