目には目を、歯には歯をというのはそれ以上の復讐をしてしまうとこの世界が関係ない人たちを巻き込んで世界ごと吹っ飛んでしまうことを懸念した律法であろうと私は想像する。
復讐をする時に一対一で殺し合いをしてくれていたらいいのだけれど、世の中人間関係でできているからそうはいかない。この人の親族だからとか、この人によくしてもらったからとかそんな温情や私情が必ず絡んでくる。人間臭いとはこの忖度に由来するとさえ思う。
さて、今日はセンター試験である。多くの受験生がまさに「DEAD or A LIVE」の精神で挑んだであろう。すでにどこの大学でセンター受験を受けるかでヒエラルキーができているかの如くの感性がまずもって間違っていることは今日は割愛するが、実際受験に失敗したやつは出世しやすい。
早い段階で挫折をすると、「このくらいどうってことない」と将来の失敗への免疫が早々につけられるのだ。コロナのワクチンのようなもので、ワクチンとは毒をある程度弱体化させて、人間の免疫力を信じた策だということをどれほどの受験生が知っているか、私はこの点が心配になる。
受験に失敗した瞬間的なことを悲観していては人生ははじまらない。瞬間的なことを悲観して人生を終わらせてしまうこと、それから瞬間的なことで私たちは嫉妬するかもしれないが、自分のなかで沸き起こった嫉妬心を他責にしてしまうことこそが人生を終わらせてしまうことになる。
大人はこんなこと懇切丁寧には教えてくれない。
なぜなら若者に学んで欲しいからだ、若者に自分の経験で免疫をつけて欲しいからだ。
自分で転ばないと人間は痛みを知ることができない。痛みをしれば2度としないと学ぶ。
人間は何よりも弱い存在だが、経験を考察する頭脳を与えられている。空も飛べない、海も泳げない、でも人間は頭を使って空を飛べたし、海を泳げた。鳥よりも高く、魚よりも早く。
私たちは考えることができる。工夫することができる。死にはしないと判断をすることができる。死にはしないと考えて唯一判断できる動物だからこそ、逆説的に自殺という選択肢も持っている。
今の事象は本当に死ぬべきことだろうか?もう少し、もう2日、もう3日考えて欲しい。心配いらない、その間に地球が吹っ飛べばみんな一緒に死ねるし、3日も過ぎれば死ぬべき内容も状況が変わってくるだろうから。だからまたそこから調整が必要になる。また3日考えて欲しい。そうしたらまた答えが見つかるだろう。
人生は連綿と続いていく。終わりに向かって連綿と続いていく。放っておいたって人生は絶対に終わる。
だから心配いらないのだ。大丈夫!
私の故郷の俳人小林一茶の俳句にこんな俳句がある
「そよげ、そよげ、そよげ若竹いまのうち」
私ならこう川柳に作り替える
「滑れ、転べ、恥かけ若竹、今のうち」
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