連日MT SECONDは清掃業務に追われている。ドブ川の清掃というのは大変骨の折れる作業だと痛感させられている。私たちもボランティアとして交代で活動に参加させてもらっている。
帰宅後、私たちの笑顔が少し減っている。ドブ川の中はまるでドラえもんの四次元ポケットかのようにさまざまなものが汚物となって引き上げられる。
元は美しい物であったのだろうと想像しやすいから、私たちの心はさらに痛めつけられる。
資産が増えたことをことの他、誇り高い栄光だと勘違いしている人々が盲信しているのが「円」というものだが、「円」の流通価値を盲信しているとある日突然ドブ川に落ちてしまうことがある。
そう教えてくれたのは世界的な経済学者の友人だった。
と、いうのも我々は経済については日本人を信頼していない。ノーベル賞の常連国だというのに、日本はいまだかつて、ノーベル経済学賞を受賞できていない。
これが日本人の経済観念のDNAだと思っている。
文学についてもいくつものチャンスを逃している。が、しかし、それは作家先生たちの忍耐の時代だと感じさせられる。
日本の文学が、芸術が誉められることはまだ時期尚早である理由がひとつある。
芸術に対して国内全体の意識が低い。
少しでも創造性を持った発言は「夢物語」だと笑われ、少しでも出る杭になればインターネットによってしっかりと叩かれる、「厨二病だ」「痛い」。自分の理解の範疇を突出したものを異質と捉えて自らの栄華を守りたいという気持ちは政権の末期であることは歴史が物語っている。政権とは国内政治を名指ししているわけではない。まつりごとはどんな場面でもある、そのことをここでは「政権末期」と表現している。
政権の中枢を担う政治家たちがいつも歯切れの悪い答弁をしていると糾弾しても、どれほど多くの人が国内で闊達に自分の意見を述べることができているだろうか。できていない土壌のない土地で健全な作物は育たない。農家であれば、土と肥料の重要性からわかりやすい例えであると思う。
言われのないセクハラ問題の噴出に、身に覚えのある自身のセクハラ案件をすり替える。これを私たちは「首のすげ替え」と表現している。
リークした人間が女性であれば、その裏を辿れば敵陣に辿り着くというのは昔からよく言われていることだ。だから、戦場に女はつれていかず、大奥という安全な場所に女を閉じ込めておく。
男が生きて帰る理由にもなる。愛する女がいるのなら死ぬわけにはいかない。だから、専業主婦は男を勝たせる有用な職業だと私たちは考えている。
とかく、奥にいてもできることはいくらでもある。私たちはMT SECONDとして活躍している。ひとりひとりがメンバーだ。レジスタンスに例えられることもあるが、対面座位でsexをすれば何事もバレてしまうことを愛の営みで知っているといえば少しだけ嫌味になるかもしれない。
一人のパートナーとだけ向き合ったものだけが得られる勝利の称号のようなものだから。
言われのないデマはその人の人生を終わらせてしまう。なぜ火のないところに煙が立ってしまうのか。火種をその人の家に夜のうちに押し付けて一晩で熾火してしまうかららしい。
そうやっていく人もの犠牲者が出たのだそうだ。
芸術的にも後進国、経済としても後進国。これはノーベル賞が歴史を持って日本に教えてくれている。
では、何が先進国か。ノーベル賞でいくつもの賞をもらっている分野を調べてみるといい。
誰が一晩のうちに熾火にしているのか、また私たちは妄想によって調査を開始する。
現実の出発点は夢物語だ。論証はまず仮定からはじまる。
「日本は眠れる獅子ではない。虚勢を張ったドブネズミだ」
友人の奉祝がいつの日かそう言っていたことを思い出す。だから私たちは実際この目で確かめるために来日している、それぞれが交代制で。
Elegant Angerに国籍はない。チームは単純にforeignerである。
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