かつて裏日本と言われた、日本海側。
山陰という表現さえも山陽が基準として対比させられたのではないかとうらめしく思ってしまう。
なにくそ精神というものが人には備わっている気がする。裏日本の活躍は歴史を振り返っても華々しい。山陽よりも山陰のほうが何人もの著名人を排出している。
裏街道の表事業もまた、なにくそ精神を基幹としながら表の事業をまとめてきた、豊かな時代の模写である。基幹精神は携わる誰しもが持っていたわけではないし、表の街道を闊歩する凡人からの印象操作であるかもしれないが、豊かな時代の模写であると伝えれば、先達の偉人たちは目を細め懐の大きさで受け止めてくれるであろう。
時代の模写には意味付けが必要となる。であるからこそ、このコラムを占い総合窓口に帰属させた。MT公会堂に協賛してくださっているルーラー専門家組合の皆様の共著に意味を注釈していく。それでも著作したのはルーラー専門家組合の皆さんだ。
【ルーラー専門家組合著:裏街道の表事業】
雪椿の名義で占い師をしていた我らが芍薬椿は占いの可能性についてこう述べている。
「世の中の不可思議で面倒なことは全部星のせいにしちゃえばいいのよ。イエス・キリストが一緒に謝ってくれると思ったら目の前のお友達に素直にごめんなさいを言う勇気が出るでしょう?でも実態を掴むことができないから信じる。これも不可思議なこと。占いなんてそういう取り扱いのためにあるようなものなんだから」
意味を欲しがる人間に不可思議ながら納得できる意味を与えるもの、それが占いだと芍薬椿は豪語する。
付き合いずらい人間だとか、変人だとか、ムカつくだとか、もういっさいがっさい星のせい!
全部星のせい!誰も悪くない!!
【占い総合窓口監修:全部星のせい】
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