かつて女であったものも、今、女であるものも、男を装うものも、男としてしか生きられぬものも、平等に普遍的に持っているものが感情だ。
喜び、悲しみ、楽しみ、怒り、などなど8つの感情を分離する。
彼らとしても、彼女らとしても、番を巡らせるのは主導者への準備であり、呼応する管理者としての備えであろう。悲しみを管理できないものは喜びへ、そして、その後主導者へと夢を膨らませていく。
自ずと夢を膨らませるよう、種がしかけられている。
「俺たちはスピード狂じゃない」
公道のレースを見下ろすエデンの到達は、明日のことなどわからない。スピードを最加速させるとどうなるか、神の試みに抜擢されたのはたった8人。椅子取りゲームなら不参加を願い出たい。
狂乱の渦中に放り込んだ神が言う、「エデンに到達しろ」。
なんとも、世知辛い。世を知るほどに神を殺す手立てを考えるが、金ばかりが転がり込んできて神には到達できない。エデンに到達するために彼ら、もしくは彼女らは走るしかないのだ。信仰という神への片道切符を持って。
【芍薬椿著:エデンの到達】
青葉が茂る5月になると毎年孫が訪ねてきて昔話をせがんでくる。嬉しい思い出ばかりでもないが、孫の目が煌めいていることが伝承者としての勤めを思い出させる。
私たちが若い頃はこんな瞳を持てなかった。人さらいに攫われて、瞳には色のついたコンタクトレンズを埋め込まれた。あれは酷い話だったと感傷的になることもすでにないが、あの時代を単純に輝かしい歴史だと私たち自身が誇れることはきっとないだろう。
孫を見ながら足の爪を切る夫とは仕事先で出会った。互いに仮面を被る仕事だったから、それを引っ剥がしてやるという変な競争心が私たちに恋を与えた気がする。接点が少ないながらも私たちは出会うたびに挑戦的に探りあって痛めつけあった。私もまた色のついたコンタクトレンズを剥がされまいと必死だった気がする。
ある老婆が私たちの色のついたコンタクトレンズを引っ剥がすまでの話ではあるが。。。
【芍薬椿著:HAPPY KIDS】
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