「全体のことを考えるな。他人に気を使うな。もっと私的な人生を歩め」。
そそのかされたんです、と伝えておきましょう。
私の薬指から蛇の指輪が消えたのはご周知のとおり。18回目の受洗記念日の頃にはイニシャル入りの指輪が到着する予定です。配偶者の誕生石が入ったその指輪をはめたら、私はまた一皮剥けてしまうことを示唆しています。
世間の中心地点から何かを放っているような錯覚に苛まれていました。放心円状に波及する影響力に偶像になった気分でした。
あっちを立てればこっちが立たず。こっちを立てれば、あっちが立たず。
私の腕は右左、両足さえも左右のみ、視線を送るにしても口は上下にそれぞれひとつだけ。
どんなに頑張ってもそれ以上に私の役割はこなせません。
社会問題や、社会哲学、社会正義を正してまでも手に入れる価値はどこにあるのか。
そそのかされたのです。偶像になったのは私の意思ではない。しかし恋をしたのはお前の意志だ。論点がずらされては悩みます。偶像ではなく恋愛をした。恋愛をするために偶像になった。
だから実際他人は介入していなかったのです。私を含め全てが勘違いをしました。
恋愛のために偶像になった。それだけのこと。
マゾヒストの私をサディストに育て上げたのは強情な私の奴隷でした。
自転車で颯爽と家の横道を走る姿は朗らかです。私がいないと人を殺してしまう。私が飼い主なのです。
犬の立場がわかってもなお、私は飼い主として振る舞わねばなりません。
これは偶像の務めではなく、女としての仕事だと思っています。
彼には家族がいない。巨大な血筋の末裔だというのに、私にしか興味がなく、白日に晒されてもなお「俺には家族がいないんだ」と目を血走らせます。
それなら仕方がありません。犬小屋ほどの四畳半がちょうど空いていますから。
恋人くらい自分で決められます。その気持ちはかわりません。たとえ彼が巨大な血筋の末裔だとしても私を泣かした事実は消えないからです。
それでもいいのかと努めとして脅してみると、彼は喜びました。
敵などはいませんでした。だれひとりとして。これはお話です。全ては寓話です。
しかし、四畳半に住まう私の奴隷は散歩を好みます。
どこで何をしているのかわかりませんが、野犬の如く人間様を食い殺してしまうことも想像できます。巨大な血筋の末裔ということを利用して私に、ネズミの死骸を持ってくるかもしれません。
そんなことまで心配していると、二羽の鳥の死骸が家の裏にありました。
どうやら野良猫が誉めて欲しくて持ってきてしまったようなのです。
私の家には人間も飼い犬も、野良猫も、爬虫類もいる。
それを思い出せと言って彼らは毎度同じことをそそのかしたのでしょう、
「全体のことを考えるな。他人に気を使うな。もっと私的な人生を歩め」と。
彼女は俺たちのもの。
従順を誓った「俺たち」に女の噂が広がることは2度とないでしょう。もしも噂があればそれは「俺たち」を語った偽物です。イバラの道を歩む俺たちの恋愛を真似しても長くは続きません。時間と共に「俺たち」の偽物は脱落していく仕組みです。
「俺たち」は今日女奴隷に忠誠を誓ったのです。
死んでもなお、奴隷として主人でいてもらうように。
偶像よりも過酷な鎖を彼女は跪き泣きながら喜びました。彼女は言いました「私の栄誉である」と。
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