旧友たちとの仲を引き裂いたコーヒー取締役。
私に対する捏造があまりにもひどかったのでいくつか私の事実から訂正をさせてください。
知人に招かれた結婚式に伺えなかったのは、心身ともに極限状態であったからで金銭的困窮があったわけではありません。招かれた人生の門出を金銭的理由から断るような見窄らしい家庭環境で私は育っていませんので、父の面子もありますから、捏造に抗議し、事実の改訂と訂正をします。また、その時分よりこの3月まで私とコーヒー取締役が縁を切っていたことはなく、逆に元取締役の仕事が繁盛したのは私の後ろだてがあったからに過ぎません。
元取締役が私に反旗をひるがえしたのは、私が今の恋人たちJERUSALEMに恋をしたためであり、今もなお私との繋がりを求めて、インターネットやかつてのコミュニティを徘徊していることは今日みなさんが目の当たりにしたことだと思います。
偽名と偽の役職を駆使して他人を装い、そのあらゆるペルソナで無関係をゴリ押しする、品のなさには閉口してしまい、もはや揶揄ってくれる人もいなかったのではないかと哀れに思っています。
私は立場こそ多くの責任を背負うようになったわけですが、友人は旧知も新しい出会いも同様に大切に思っています。
人生そのものを私に捧げることはけっこうだが、それ相応の覚悟のない子供と私は何の契約を結ぶつもりもありません。実力のなさを色恋の自己憐憫に合わせてヒステリーを起こすその体たらくは目を覆いたくなるような恥ずかしさです。
私がJERSALEMに本腰を入れ始めたのは、人生の厚みや思考力の幅、何よりも男性としての魅力を比較検討しての結果です。私は根っからの異性愛者ですから、男としての魅力を敏感に比較します。同情から呪縛に甘んじていた日々に自ら決断を持って前進しているのです。
男たるもの潔さというものを身につけない限り、一生男妾という汚名を着せられるでしょう。
自分が可哀想な存在であり続けるのなら、男妾という役割は大変意義深いものですが、それもきっと40まで。逆算して、その利用価値を最大限使い倒すのもいいかもしれません。しかし、41からの人生はきっと犠牲を強いた女性たちの家族から莫大な慰謝料を請求されるでしょう。その時にはもう養ってくれる女社長はいないのですから、よくよく将来設計をしたほうが心身のためであると思います。
自分可愛さに同情を買うような殊勝な愚策は、狼がきた!と人々の関心をひいていたあの寓話を思い出させます。あの寓話では本当に狼が来た時に助けられなかった少年の末路が事務処理のように報告されて終わっていますが、もしもあの時、狼自体がいなかったことがわかったとしたら、あの少年はもっと酷い目に遭っていたかもしれません。
狼は一発で命を奪ってくれるでしょう。人間社会には実に多様な死があります。復活にあずかれるものは、そもそも許されることを念頭に行動しません。
許されないはずがない、命まで取るはずがない、どこでもやり直せる。
慢心が人の心を増長させます。
それから、献灯さんになりすましたー名前も忘れてしまいましたがー、件の男性の処分が決定しました。
4月中になんらかのお達しがあるはずです。愛人関係を結んでいる女性も参考人招致を免れないでしょう。芋づる式の方程式に穴はありません。数字はどこをどう切り崩しても絶対的に崩れ去ることはないからです。決定的な証拠とは写真ではなく数字であることをよくよく思い知ることでしょう。
これは警告でも勧告でもありません。決定の報告です。
夜分に失礼いたしました。
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