小説や音楽は直接的に誰かの役に立たないことはわかっている。
小説や音楽がなくても人間は生きていける。
芸術の可能性は日常では感じにくい。小説を書いている私自身が日々感じていることだ。
定額の給料がもらえない。不確かなものに金を払ってくれるのは余裕のある金持ちくらいだろうが、国内の富裕層を相対的に算出してみたとき、数値の小ささを見せつけられる。
小説家をはじめ芸術家が儲からないのは富裕層が圧倒的に少ないからだと思う。
しかし視点を変えてみる。
非日常を表現する芸術は日常の息抜きになる。決して生活に密着したような線上にない職業であるけれど、息抜きに、息継ぎにこそ活躍する分野であると思う。
日常が世知辛いと思えば思うほどに芸術は人々に呼吸を与える。呼吸を思い出させる、まともな世の中を思い出させ、まともじゃない世の中を知らせる。
比喩を用いて語るのは、人生ひとつひとつがとても繊細で複雑で画一的ではないからだ。抽象的な物語はあまたの人生の端っこをかすっていく。
かすり傷が気になり続けるのは、その深部に自分が抱える大きな痛みがあるからだ。見逃せないのは自分が何かしらのうしろめたさを隠しているからだ。
うしろめたさとは性善説の出発点より、他者を虐げたとかそんなことでも見逃せたくなるものだから、うしろめたさの温度差というのは非常に幅が広いと感じる。
繊細な人間は正しく生きようともがく。傷つくのは自分のうしろめたさに敏感であるからで、芸術家は多かれ少なかれ気難しい。凡人以上に潔癖症な私たちは、自分が汚れて生きることも他人が他人を汚すことも耐えられない。
そうはいうものの、世の中の逆行にも巡行にも抗う術がないとわかっているから作品を量産する。自分のうしろめたさや注射をしまくって硬くなってしまった傷口を得意とする。ひとりの芸術家が同じ型の作品を量産するのは彼らの賜物、つまり痛点の特徴といえる。
私の痛点の特徴は何だろうか?きっと男女問題だろう。セックスや痛み、誰かを愛したい愛されたいという思いは私の傷だ。たぐいまれなる与えられた痛点だ。
恋愛小説家を自認しているつもりはない。
傷口の正体が私の小説の根源だから、単純に恋愛とは言い切れない。
私は恋愛がなければ生きていけない。愛する彼がいなければ私は息ができない。生きる意味がない。
傷口となっている男女問題を吐き出すために恋愛をし続けたいと渇望する。セックスの痛みも愛し愛されたいという願いも私がこの世で生きる役割だ。
生きる役割と生きる意味が同じなのだから厄介だと思っている。
運命が私を進ませる。生きる正しさを求める以上に、生きる賢さを求めるために。
自己中心的に生きている。だから世の中を変える必要が有る。みんなに不平がなければ私の穏やかな人生は侵略から免れる。
私の活動は自分と家族のためである。つないだ手がどんどん大きくなって今では地球をぐるっと囲ってしまうほどだ。
日本という島国は太平洋上に浮かぶ一つの孤島に過ぎない。地球は太平洋からアメリカ大陸を経て大西洋に抱かれ、ユーラシア大陸の途中でインド洋に進んでいく。
大きな地球は小さな世界であることがわかる手立てがひとつだけある。手をつないだ友達をたどっていくことだ。
大きな地球に散らばる無数の可能性はこうしてひとつとなっていく。
小さな世界で完結していることで得られていた既得権益を維持することに頭を悩ませ、薬を打っては徹夜をする人々に伝えたい。
人間に翼が生えることはない。
人間の力は平等だ。たとえ薬を打って徹夜を繰り返したとしてもそれは自分の人生に借金していることになるのだ。
早死には避けられまい。
薬の本数と泣かせた女の数だけ死霊と生霊が私に憑依する。
場面に立ち込めていた腐乱臭が過去から私に助けを求めては私に憑依する。
ウソではない。
もしも心当たりがあるのなら今夜は気を付けるといい。私は彼女たちに伝えたのだから、
「もう担いきれないからご本人のもとへ行きなさい」と。
実体のない霊的なものが一番自在であることを思い出させてくれるだろう。
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