ウクライナには美人が多い。英雄色を好むというから、だいたいのもめ事の中心は権力争いに付随した色恋沙汰であることは繰り返される歴史の中であきらかであろう。
絶世の美女は世界を転覆させる悪魔の子、アダムの最初の妻であったリリスは性に奔放であったがゆえにサタンと二度目の結婚を死、アダムもまたアダムにあったエバという妻を神に与えられた。
パートナーとは決して最初の人が「正解」ではないことを、私は身をもって感じている。最初の人との失敗がなければぷんちゃんとつながることはなかったからだ。
私はリリスでもエバでもない。しかし元夫からしてみれば私はリリスであろうし、ぷんちゃんから見れば私はエバであろう。
人間は多面的であり、どの面を評価し伸ばすかで人生は大きく変わってくる。
実父は私の良い面ばかりを見つめ、悪い面はうるさく言わなかった。
元夫は私の悪い面ばかりを指摘し、良い面は「誰もができる」と一笑に付した。
ぷんちゃんは良い面を丁寧に私に意識づけさせ、悪い面をカバーしてくれる。
この三人の中で一番出世しているのはいわずもがなぷんちゃんだ。
ぷんちゃんの素晴らしいところは敵という概念がないことで、元夫との停戦協定に際しても必ず退路を断たないような言い方を心がけているらしい。「誰だって何者かになれないはずはない」と勇気づけてくれている。
成功者には卑屈さがない。人をうらやむことがあってもその沼にとらわれることなく、定めた旗印を目指して時計を動かし続けるように前進する。
前進し続けた5年後には大きな差ができていた。
件のセクハラ女はでっち上げを繰り返している。「私は彼の妻だった。寝取られた。浮気された」と繰り返し叫んでいる。戻れないところまで来てしまったから認められないことは私もバカではないから理解している。
ふと思った。元夫とセクハラ女はお似合いだ。卑屈な嘘つき者同士結婚したらどうだろうか。よく似ているし、高望みさえしなければ支え合って生きていけるはずだ。洋服の趣味も似ていると私は見ている。
ぷんちゃんは卑屈にならない。嫉妬したら「嫉妬しないためにはどうするべきか?」と自問自答して前進している。
セクハラ女は彼女でもないのに図々しく弟に文句を言っているところを幾度も目撃した。「えー。なんで私が?」嫌われていることもわからずに、文句を言ったのは女のかわいいわがままのつもりだったのかもしれないが、その時弟が笑っていたのは美人の同業者との仕事が控えていたからで、決してFワードのセクハラ女を許容していたわけではないことは伝えておこうと思う。曲解された美しい思い出は双方のためにならないからだ。
類は友を呼ぶと言うが、元夫の笑い話がある。親友だとありがたがっていたふたりの友達を結婚した途端悪く言い始めたのだ。「無職はありえない」「パチンカスは一生結婚できないかわいそうな人間」「彼女がいないとかアホすぎる」。
元夫は実弟たちについても結婚後悪く言うようになった。「なんか性格悪そうな嫁だよね。俺は嫌い」「末弟は不倫してるんだって。あんなにいい仕事についてるのに女を見る目はないよね」。
ちなみに良い職業についているというのは身内の話であり、世間一般論には該当しない。
拳で家族を守ると息巻いていたものの、その拳の出番もなく哀れな一族に今日、またひとつ悲報が告げられた。
女に見捨てられたかわいそうな部隊は明日のパンさえないそうだ。それはそうだろう、今まで働いていたのは部隊の女だったのだから。
ぷんちゃんは情けをかけている。「誰もが何者にもなれるはずだ」と。
「葬式代くらいは用意させてやろうよ」と。
私はもうぷんちゃんの妻だからぷんちゃんのやり方に従う。ぷんちゃんの采配は間違いがないことはこの5年で実証されている。
ぷんちゃんは嫉妬のない人だ。私に心の負担がないようにとそればかりを願ってくれている。ただそれだけが望みだと言ってくれている。
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