いい映画に出会えた。
そして、私はこれからも映画館に定期的に行こうと思った。
ドリームプランという映画を見てきた。ウイリアムズ姉妹とお父様のサクセスストーリーである。夢は夢で終わらせない。夢を現実にする努力が彼女たちのサクセスストーリーとなったのは誰もが知るところであろうが、映画を見終わり、いかに夢が現実になると信じ突き進むことがサクセスストーリーの第一歩であるかを感じさせられた。目的意識の大切さである。
ホンモノのウイリアムズ姉妹はもちろんウインブルドンの試合などでよく見ていた。繰り出される剛速球に震えたことを覚えている。たくましい二の腕と恵まれた体は多くのテニスプレーヤーがうらやんだであろう。もともとあった才能を最大限に活かしたサクセスストーリーは一流のテニスプレーヤーになるという柱と金持ちになって貧困を脱するという柱の二本立てだったように感じた。
子どもの才能を見抜き、ひとつ目標を定めそこに向かって猪突猛進で進む姿はどこか私の父に似ていた。ジョークが好きすぎて世間様の反感をかいやすいところもまた。私が身近で見てきた父はそんな側面以上に愛情深く、誰よりも私のために自分を犠牲にした人でもあった。
私にとって父という存在はことあるごとに思い出し、何かしらの人生のヒントになり続ける大きな存在で、まさに人生のコーチという点ではウイリアムズ姉妹のお父様と立場が同じであると感じた。
父が亡くなって早3か月。私の周りが少しずつ落ち着いてきた。過去からの伏線回収が一通り済んだといえよう。幸せだと思える今日につながる苦悩の過去に私はどんな言葉をかけるだろうか。
少し笑ってしまった。
「いいよね、昔は。苦労したってパパがいるじゃない」
全くその通りだと思った。父は私が幸せになる瞬間まで私を導いてくれた。そして新しい家族たちに見事バトンタッチを終えた瞬間、おばあちゃんのもとへ、母のもとへ帰っていったのだと思う。
父はマザコンだ。私はわかっていた。何かにつけておばあちゃんの話をしていたから。一人っ子の男の子だからすごくお母さんに甘えたかったのだと思う。人生100年時代に75歳は早逝である。でも父の本望だったとさえ思う。私を守ることに心血を注いで人生の目的としていた過去にはおばあちゃんに愛されて守られたという思い出があったように感じる。私をおばあちゃんのように育てたい気持ちも感じていたから。
今、私には私のことを「めぐちゃん」と呼んでくれるお姉さんたちがいて、お母さんのような存在も父のような存在もいて、もちろんパートナーも弟たちもいて、最近では妹たちからもいじってもらえるようになった。
映画館でひとり映画に没頭しているとインターネットの環境を強制的に遮断できる。映画の世界に入り込むと時空の旅をするように父と向き合うことができる。
現実から離れると現実のいざこざが小さくかすんでくれる。あえて目薬でピント調節をしない時間、それが映画館でのひとときだ。
一週間に二時間だけでも父と向き合う時間を持ってもいいのかもしれないと感じた。
父は私を宝物だと言ってくれた。その宝物をどうしてこの世に残してあんなに早くいってしまったか。これも伏線回収をすませることができた。
前夫と離婚したことを伝えたすぐ後に父は病院へ行って検査を受け、癌が発覚した。
思いやり深く男らしい父であるから愚痴のような類、また弱音は一切言わなかったが、心の声は聞こえてきた。
「めぐが幸せになるまでは俺はかじりついてでも生きていなきゃいけない」。
今のパートナーが父の目には合格だったということだろう。
同じ煙草の匂いで包まれていると私は穏やかな気持ちになる。副流煙は私の睡眠導入剤。父に肩をたたかれながら眠った幼い日々が思い出される。
故郷はきれいなままで残しておきたい。心を洗う聖地として。
そんな思いで私たちは都会で暮らすことを決めた。都会の私たちは格好つけていっぱしの大人を気取って颯爽と歩いている。5年前に出会うはずだったあの日では想像もつかないような互いの成長にはひとつ目標があった。そして側面的な目的もあった。
私たちのドリームプランは確実に5年前のすれ違いから神様によって描かれていた。神様によって各々の生きる力を養う修行を目的として、目標を再会とさせられていたのだ。
私たちが出会うはずだった教会は5年の月日を経てなおそこに建ち続けている。変わらないものがあること、ぶれない信念とまっすぐすぎる一途な思いが私たちを今日も復活へと導いている。
曲げられないまっすぐすぎる一途な信念には名前があった、「恋」である。
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