春は名のみの風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと声もたてず
時にあらずと声もたてず
氷溶け去り葦は角ずむ
さては時にぞと思うあやにく
今日も昨日も雪の空
今日も昨日も雪の空
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる胸の思いを
いかにせよとこの頃か
いかにせよとこの頃か
「早春賦」より
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まだかまだかと雪解けを待ち望み、しかし現実目の前に広がる雪五尺の雪山に「春は名のみの」と歌う雪国の早春は、名のみであっても気持ちを急かし高揚させる。
雪国の春は名のみであっても私たちを前向きな気分にさせ、里山にほころびかける梅を見るだけで希望を見出す事ができる。
故郷は寒さ厳しく、金木犀さえ育たない厳しい自然環境でしたが、小川に流れる雪解け水の清々しい香りと、水が染み出る土手の土の香り、土と水に育まれたふきのとうの小さなふくらみと、小さな命の懸命な姿ばかりが思い出されます。
春のうららかな日にお江戸では隅田川の舟下りに興じる人々がニュースで報じられ、さて次はこちらか!と心を躍らせる信州の人々につながりを感じられるようになりました。大人になったというものです。川は流れつながり、そして太平洋に注がれ、水はさらに前進し、時代と地球をかけめぐるように大西洋につながりアメリカにヨーロッパに、アフリカにアジアに、そしていつの間にか季節がめぐりまた日本に戻ってくるのです。
小さな思い出が巡り巡って地球を何周もするように、私たちの愛も回り回って駆け巡って誰かの懸命な生きる愛の肥やしとなりますように。
春は時間差でやってきます、誰にでも。そして、その春に感謝する時、時代と地球は逆回転を起こし、出発点の春に感謝が戻ってくる事でしょう。
ありがとう、いつの日か私のために祈ってくれた名も知らぬあなたへ。
春は復活の季節です。成長の出発点でもあります。どうかひとりでも多くの方が名も知らぬ誰かがあなたのために祈ってくれたことを感じられますように。
祈ることしかできない弱い私たちの祈りを取りなしてくださるイエスキリストに期待して。
アーメン。
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