大器晩成という言葉が好きだ。
昔は嫌いだった。なんだか、凡人のように聞こえて。
若い頃は早く世に出たいもので、誰よりも秀でた人間になりたいと思うものである。その野心が向上心となって自分の人生を形成する役にたっていくことは年齢を経た今であれば穏やかにみつめることができる。
でも、若い頃は早く有名に、力をつけて、一端の大人になりたいと願い求め行動するものである。
私は若い頃、とても小さな存在であった。大きくなりたいと思う気持ちを内側にマグマのように秘めては燻らせ、味方もいないそんな下積み生活を営んでいた。父はなだめるように「お前は大器晩成なんだよ」と言い聞かせてくれたけれど、若い私にはその本懐が全くわからなかった。
単純に親の欲目でなぐさめていてくれているだけだと父の愛情を僻み根性のように捉えていた。
今、ここに立ち世界を見渡すと父が言っていたことが親の欲目以上に俯瞰的客観的意見だったことに気付かされる。驚きをとっくに通り越して感動を覚える。
天を仰いで「神様」というべきところを私は「お父さん」と涙を流してしまった。
キリスト教で父なる神という言い方がある。
神は愛であるから、その瞬間の神様というのは私にとっては父だったのかもしれない。
神様とは人間以上の威厳を持てる相手であり、畏敬の念を持って拝することができる別格の存在であるが、父はすでに他界しているし、過去は郷愁と威厳を持って私に語りかけている。
つまり、あの時点で起きた私の現実は父と共に天に上げられ、そして神話になったのだと解釈した。
いつだったか、私の小説を「金を払う価値もない」と言った女がいた。私への嫉妬だということを知らずに私は本気で落ち込んだ。
私はその女性のライブに対して「金を払う価値もない」と言ったことはないし、対面を避けるように時間を調節している。謝罪がないのはしょうがないと思っている。男女の色恋沙汰で負けた方にひれ伏せというほど私は非常ではないからだ。しかし、彼のお父上の前で「彼の悩みは私が一番わかっていたんです」というアピールをするのはいかがなものか。
私への無礼によってお父上が出てきてくださったという現実さえ読みきれないのであれば、私の小説に金を払う価値もないと言ったのは納得だ。
読解能力のなさはあらゆる言動において猪突猛進に人に迷惑をかける。
私は彼女を生涯覚えているだろう。どこかで会うことがあるだろう。事件後もすでに3度ほどリアルで対面している。私がヘッドフォンをして気づかないのを良いことに近くに寄ってきて嫌味を毎回言ってくる。懲りない女だなあと辟易して無視していたものの、もう一度はっきりと言わないといけないほど厚かましさにまた拍車がかかっているように見える。
嫌がらせは3年前からあったんだよ、と祈祷が呆れながら教えてくれた。私が気づかないのだから伝えなくてもいいだろうと思っていたようだが、JERUSALEMを筆頭にMT公会堂を含めてかなりイラついていたらしい。
「椿はマイペースすぎる。あんな嫌がらせ、ふつうは気づくだろう」
視野が狭いのだ。私は好きな人しか見えていないから。家族のことしか考えていないから。
MT SECONDは巨大な組織だ。家族も好きな人も尋常じゃないくらい多い。だからひとりの嫌がらせに気を遣う神経はいくら神経過敏の私といえども持ち合わせていない。か細い生まれたてのシナプスさえも大切な人たちへ使わないと間に合わないほど私たちの組織は巨大で大人数だ。
日々繰り広げられる嫌がらせに最近私に懐いている年下の男の子が言った、
「椿さんがいじめられているのは人気がある証拠です。僕たちが守ります」。
絶句した。こういうかっこいいことをさらっと言えるから年下というのは油断がならない。気をつけないといけない。
さて、カワハギ、今日はお前が私に嫌がらせした「現場」を世界同時配信する。お前のせいで私は下記商業施設に行くことができないほどトラウマを被っているのだから。好きだったブランドをお前が汚したんだ。
アサヒスーパードライは飲まないんだよ。私は札幌黒ラベル派なんだ。(スーパーにて)
tutuannaで買うのは靴下だけ。(tutuannaにて)
ディズニープリンセスに憧れているわけじゃない、私はライオンキングが好きなんだ(ディズニーランドにて)
0コメント