椿の人気が日に日に増していく中で俺たちは色々と方向転換を強いられている。
椿のお父さんには昨年、はじめてお会いした。癌闘病の一時帰宅に合わせてお宅に寄せてもらって色々と椿の話を聞かせてもらった。
お父さんは「気が強い子でね。我を張るんだよ、弱みを見せない」と、そんなことから話し始めた。椿はまたかと苦笑いをしながらも嬉しそうだったから、俺たちもすごく幸せな気分になれた。あの頃はまだ緩和ケアに移行する前で、お父さんはお酒が飲めなかった。残念だったと思う。
「典型的な内弁慶。あとね、ひとりっこでしょう?ケンカする相手が子供の頃、家のなかにいなかったからケンカのやり方を知らない。泣かされても黙って帰ってきちゃう、やり返さない。俺はいつも言った。やられたらやり返せ、喧嘩になって先生に怒られて廊下に立たされたらお父さんが謝りに行ってやるから」
今の椿に少し通じるところがあるなあと思った。人と競ったり、勝ろうという欲がない。
俺たちなんかはみんな兄弟が多かったから子供の頃から家の中ですでに比べられてて主張をしないとほしいものは手に入らなかった。けんかしないと自分の正当性を明確にすることができなかった。だから誰に教えられたわけでもなく、やられたらやり返す術は持っているし、泣かされても仕返しをする。しかもバレないように、うまく意地悪くできちゃったりする。家庭の中で親の監視のなかで、うまく妹や弟、兄や姉に一泡食わせてやる工夫をしてきた賜物だと思う。
ケンカのやり方を知らない椿はかなり損をしてきた。俺たちと出会う前はだいたいのことについて泣き寝入りしていた。でも、損をしてきたからこそ俺たちは彼女にしかない唯一無二のものがあるのだと知っている。
お父さんは俺たちに言った。
「この子はじゃじゃ馬なんてものじゃない。そのくせ優しすぎるところが玉に瑕。もう少し強くなってほしいんだけどね」
椿はいまだに「強くなりたい」「ふつうになりたい」と口癖のように言う。俺たちがいくら「弱いままでも生活に支障ないじゃない」と言っても、ふとしたときに意地を張るように「強くなりたいの」「ふつうでいたいの」と泣いてしまう。お父さんが大好きなんだと思った。お父さんの望む姿になりたいと今も心のどこかにあるんだと思った。
俺たちの新居のリビングには椿とお父さんの写真を一枚だけ飾っている。祭壇でも仏壇でもない、何気ないフォトフレームに入れて家電の横に。俺たちと椿の写真も、俺たちの実家の写真もMT SECONDメンバーの写真も飾っていない。
椿は写真を嫌がる。写真は嘘くさいと嫌う。目の前の笑顔が一番信憑性があると目を輝かせて俺たちを代わる代わるに見つめる。
そういえばお父さんがこんなことも言っていた、
「欲がなさすぎて、金の勘定ができない。それだけ俺が金の面で不自由な思いさせなかったってことかな」
肺がんで苦しそうな表情ばかりだったお父さんが一番大きな声で笑った瞬間だった。
お父さんの笑顔はいい笑顔だ。椿はお父さんの笑顔に似ている。
MT SECONDが始動して俺たちは椿がどんなにごねても値段設定とか金に関することは俺たちに任せてもらおうと思っている。欲がないということは変に利用されるということになりかねない。実際人気に乗じて既に泥棒が多発している。椿の真似事をしても椿にはなれないのはわかっているけれど、俺たちが気分が悪い。俺たちが好きなのは椿であってどこにでもいるような阿婆擦れじゃないからだ。俺たち自身の男の沽券が下がる。
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