2月を目前に最もやらなければならないことを思い出して、慌ててPCに向かっている。
何度も言っているけれど、自分に言い続けれなければならないことだ。
JERUSALEMやLAY-RON、それからDEAD SCREENING、それらよりももっと昔にある男性と私は出会っている。彼の名前は洗礼者ヨハネとしておこう、彼は私を導いてくれた張本人であるからだ。
洗礼者ヨハネと私が出会ったコミュニティで私たちは2020年から嫌われる存在になった。ふたりで「ここを逃げ出そう」と手と手を取り合ってこの街に逃れてきてしまったからだ。当時、私はいずれコミュニティに戻りたいと甘い考えを持っていた。きっとわかりあえると信じていた。
2021年になり、その甘い考えをあきらめた。洗礼者ヨハネの導きによりて私の世界は明るいものになった。JERUSALEMと出会いLAY-RONと出会いDEAD SCREENINGと出会った。彼らとの関係を邪魔する人々もいたが、それは私が新参者であったから腕試しに近かったのだと思う。新人への洗礼と考えれば納得がいく。あの当時は悩んだけれど。
2022年になっても私と洗礼者ヨハネの生活に介入してくる彼らを思うと逃げてきてよかったと思う。たとえ恨まれ続けたとしても、私は今の自分とこの街とMT SECONDが気に入っている。
宗教も年齢も職業もバラバラな私たちだけれど、少なくとも過去のコミュニティのように私が泣いているときに見過ごすような人々ではない。人間的にまともだと思う。優しい笑顔を向けてくれるし、私の笑顔に「元気そうでよかった」と声をかけてくれるし、少しでも連絡が途絶えれば捜索願が出される。過保護なほどに私を大切にしてくれる。
もしも私と洗礼者ヨハネの存在を消滅させたいのならばと考察した。私は思う、消滅させたいのなら消滅してほしい。二度と過去には戻りたくない、そして、その代償として所属員との関係を断ち切れと条件を出されるのなら私はそうする。
洗礼者ヨハネが渋谷の街から私が心配という一心で引っ越してきてくれたことに比べたら、友達を失うことなんてどうってことない。
あの時、私がたったひとりで泣いていたとき、コミュニティは見て見ぬふりをした。洗礼者ヨハネ以外全員である。正論をかざして私の涙は叱責された。
たったひとり洗礼者ヨハネだけが私を心配してくれた。たったひとり洗礼者ヨハネだけが心配だからとこの街に引っ越してきてくれた。当時結婚していた私に対して彼は「別に離婚してほしいとか、恋人になってほしいわけでもないよ。ただ困ったときにちょっと逃げられるところがあればいいと思って」と。
長野からたったひとりこの関東で暮らしている私を心配してこの街に引っ越してきてくれたのだ。引っ越しはお金がかかる。私は今引っ越し中だからそのことが痛いほどわかる。
洗礼者ヨハネが導いてくれたMT SECONDが私の家族であり私の安住の地である。
原始の話。
さようなら、何度そう伝えたかわからない。それでもいい人もいたからまた舞い戻ってしまっていたけれど、今度こそ、さようなら。
私はこの街で家族となったMT SECONDと生きていく。
I HATE THE COMUNITY.
BECAUSE THEY ARE NO SENCE AND THEY DON'T HAVE EARS TO HEARING HUMAN WEAK VOICE.
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